エイプリルフールの日本伝来
江戸時代は「不義理の日」だった
4月1日に罪のないジョークや嘘、いたずらなどをして人をからかう風習は、16世紀頃からヨーロッパではじまりました。
この習慣が日本に入ってきたのは大正時代。開国によってもたらされた文明開化が起き、異国の文化を積極的に吸収していた時代です。
しかし、日本にも伝統的な4月1日の行事がありました。
江戸時代にはこの日は「不義理の日」と呼ばれ、日頃ご無沙汰している人に手紙を書いて近況をたずねる日とされていました。不義理をしていい日ではなく、義理を欠いてしまった人に便りを送り、再び縁をつなぐ日でした。欧米とはまったく違う風習があったんですね。
時代とともに「不義理の日」はすたれてしまいましたが、メールが活用できる今の時代、この習慣を見直して生活に取り入れてもいいのではないでしょうか。
高田馬場の決闘と不義理の日
忠臣蔵四十七士で大石蔵之助に次ぐ人気者といえば、堀部安兵衛ですね。彼の名場面として有名なのが「高田馬場の決闘」です。
元禄7年(1694年)2月11日、江戸郊外の高田馬場で伊予国西条藩の家臣たちによる決闘が行われました。
当事者の片方・菅野六郎左衛門は同じ道場の門弟子で叔父・甥の契りを交わしていた堀部(当時は中山姓)安兵衛に助太刀を頼むために手紙を送ります。
その手紙が安兵衛のもとに着いたのが、なんと4月1日。安兵衛は不義理の日の手紙だろうと読まずに放っておいたため、あやうく一大事に遅れるところだったのだとか(講談や芝居では、酔いつぶれて書き置きを見るのが遅れたというストーリーになっています)。
この決闘で安兵衛は18人斬りとも言われる獅子奮迅のはたらきを見せました。この評判を聞いた赤穂藩の堀部金丸からぜひ娘婿にと申し出があり、安兵衛は晴れて赤穂藩士となるのです。
あの人気者が、不義理の日にあわや一世一代のミスを犯してしまうところだったとは…。ちょっと驚きですね。
うそ・ほんと?
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